痛くて痛くてたまらない真実にどっぷり浸かる。
最後の最期まであがく覚悟。
そんな「生き抜く」という貫く美学。
今日のひとこと

 

面白い噂ですが、

 

事実ではないことを聞きました。

 

相手の方に申し訳ないのと

 

「冗談じゃないわ!」と怒られそうですので、

 

訂正しておきます。

 

2月に、5周年記念パーティーを開催させていただきました。

 

あの時、お手伝いしてくれた女性が、

 

「私の彼女である。」

 

という噂があるようです。笑

 

残念ながら、想像し間違えているようですね。

 

そして、人によっては、その想像が、

 

かなり、エスカレートしているようです。

 

私は、「彼女がお手伝いしてくれます。」

 

と言ったような記憶がありますが、(言ってない?)

 

その「彼女」は女性という意味で、恋人ではありませんよ。

 

お客様であり、友人です。

 

本当は、当日、もう一人、

 

「手伝うわよ!」と言ってくれた友人がいたのですが、

 

(お手伝いしてくれた女性と私の共通の友人(女性))

 

インフルエンザで自宅に隔離されまして、ひとりになったのです。

 

2人いても、パーティーのあの展開は変わらなかったと思いますが、

 

そんなこともありました。

 

ですから、噂が好きなのはわかりますが、違うものは違いますので、

 

もう少し、勘の制度を上げてから発言をお願い致します。

 

噂になるというのは、少なからずの興味があるということですから

 

そういう意味では、ありがとうございます!

 

 

 

今日のひとこと - -
今日のひとこと

 

先日、この「今日のひとこと」で言いました。

 

誤解している人がいるようですから、もう一度、言います。

 

「当店の食べ物が、デパ地下で買えるならそれでいい」

 

「食べる、飲む、過ごす、よりも写真撮影が大事」

 

カフェ店主として両者は歓迎できません。

 

そもそも、日持ちのする焼き菓子でない限りは、

 

「当店以外で買える=当店より品質が下がる」です。

 

ですから、販売もしませんが、

 

その差がわからないというか、興味がないというのか、

 

買えるならどちらでもいいような方も、この世にはいるようです。

 

品質を下げてまで、たくさん売るということに興味がないので、

 

ここでしか出さない、ここだからこそ感じられるおいしさを生んでいるつもりです。

 

「ここで愉しむ」を望んでくださる方は大歓迎ですし、

 

カフェを個人店としてやっている人は、みんなそうなはず。

 

表現としての空間に意味がないのであれば、カフェかどうかは関係なく、

 

ただの飲食店ということになり、カフェという意義がなくなります。

 

「あの場所が好き」とは思われないカフェなんていらない。

 

だから、「ここで」ではなくてもいいということは、

 

個人カフェの否定です。

 

 

 

写真を撮るかどうかは自由です。趣味ですからね。

 

それをどうするかも自由。

 

SNSに載せてもいいし、ただ、自分で見るだけでもいい。

 

私が口を出せるものではありません。

 

ひとつだけ言うとすれば、

 

それを仕事にしているなら許可を取るべきでしょう。

 

空間を含めて、被写体をつくったのは私ですから。

 

SNSに載せるのも、好き嫌いはあるにしても、

 

事実ではないことを言ったりしなければ個人の自由でしょう。

 

先日、言ったのは、

 

「写真が撮れないなら意味がない」と思う人は歓迎できない。

 

それはそうでしょう?

 

(これを言っておきながら、当店は写真撮影可です!)

 

先ほどの食べ物そのものにしか価値を見出せない人よりも酷い。

 

それでもいいというお店は、どこまでプライドがないというのか、

 

お金になればなんでもいいというお店。

 

個人店なのに、それで魅力ありますか?

 

来るのは誰でもいいということですよ。

 

私、皆さんの好みなどわかる範囲では、すべて、記憶しています。

 

個人として見ています。誰でもいいとは少しも思わないです。

 

今、自分がそこにいることよりも、あとで使う写真の方が重要というのは、

 

人間から離れていっています。ロボットですか?

 

人は、感じることができるという特殊な感覚があることが魅力。

 

感じないなら生きているだけ。

 

ここでいう、生きているとは、生命はあるという意味であり、

 

人間的な生きているという感覚がある、ではないです。

 

SNSで、

 

「いいね」をどれだけ押されようと

 

フォロワーがどれだけ増えようと、あなたの魅力は変わりません。

 

上がりも下がりもしません。

 

誰も、あなたが素敵だという意味で「いいね」とは押していません。

 

そこにある画像や情報そのものに「いいね」と押しただけです。

 

見ている人にとっては、

 

その情報を発信している人が

 

途中から知らずのうちに変わってもどうでもいいことです。

 

(どうでもよくないと思ったとしても、変わったかどうかに気づけないし。)

 

仮に、あなたが、SNSを急にやめたとしましょう。

 

どうしたのかな、と思って、連絡をくれる人は何人いるでしょうか。

 

やめたのですから、SNSのメッセージは使えませんよ。

 

連絡先を知っている人はどのくらいいますか。

 

その中で、気にかけてくれる人は何人いますかね。

 

大半の人が、

 

「なんだ、あの人いなくなったな」だけではないでしょうか。

 

つまり、架空の人を演じているようなものです。

 

いてもいなくても、その存在を明確には確認できない人。

 

実際の自分の人生は棚に上げて、

 

架空の世界で

 

「素敵な自分」「人に必要とされている自分」をつくろうとしていませんか。

 

インターネットの世界では、代わりはいくらでもいますよ。

 

それがわかっているから競争しているのでしょう。

 

知ってか知らずか、自分中で競争していますよね。

 

フォロワー、いいね、を追いかけている。

 

数字は追ってはいけません。

 

お金と一緒です。無限だから。

 

つまり、無限に終わらない欲に取り憑かれているということになります。

 

100でも100000でも満たせれませんよ。

 

「これができるなら、もっとできる」と思ってしまうからね。

 

それができると、現実の自分は変われるのでしょうか?

 

現実世界が満たされていないからといって、

 

架空の世界くらい満たされたいなんて思ってはいけません。

 

現実世界を満たせばいいだけです。

 

満たされていないと思っているのは、そう決めたのはご自身です。

 

 

 

私が勝手に決めた

 

「いいね症候群」というのがあります。

 

 

お店に行った。

 

写真を撮った。

 

SNSに載せた。

 

「いいね」と押してくれる人がいた。

 

嬉しかった。

 

が、通常です。

 

それを逆流させています。

 

「いいね」を押してもらうために載せる。

 

「いいね」と押されそうな写真を撮る。

 

それを撮るためにお店に行く。

 

「いいね」と押されそうなものを食べる、飲む。

 

行き過ぎて、現実よりも写真の方が大事になる。

 

行き過ぎなくても、ここに含まれる人、多いと思います。

 

嬉しい気持ちはわかります。私も嬉しくないことはないです。

 

正直、価値を知っているので、そんなに嬉しくもないです。

 

数よりも、気持ちのある「いいね」が嬉しい。

 

押さなくても「いいね」と思ってくれた方が嬉しい。

 

(それに、匿名ではなく、私は、公にしてやっていますから、

 

現実世界の一部です。SNSで知った人が、

 

現実の私に会いに来てくださることもある。それが嬉しい。)

 

架空の世界で、

 

そんなに必死になって自分をつくろわなくても、

 

あなたは、素敵な人です。

 

自分で自分の良いところに気づいてください。

 

誰でも自分の好きではないところはあります。

 

私もたくさんあります。

 

変えられることは変える努力をします。

 

でも、変えられないこともあります。

 

変えられないから受け入れます。

 

好きなところも受け入れます。

 

一番である必要がありません。

 

他者は関係ありません。他人は他人。

 

あなたはあなたしかいません。

 

誰も代わることができません。

 

産んでもらえたのですから、生まれたのですから、

 

自分だからこその人生を大切にしてください。

 

私は、ここで、あなたと出会えたことを嬉しく思っています。

 

これからも、

 

私は、ここで、あなたを待っています。

 

 

 

 

今日のひとこと - -
今日のひとこと

 

「拘り」は、「偏り」。

 

物質や手段にこだわってはならない。

 

結果は大事だ。

 

しかし、

 

ノルマのような数値化された結果には一時的な価値しかない。

 

意志は強く、

 

思考は柔軟に。

 

こだわらないことにこだわる。

 

そして、

 

人々の幸福を想う。

 

 

 

 

今日のひとこと - -
今日のひとこと

 

みなさん、お察しの通り、

 

「季節のお菓子とお話しの会 春」はございません。

 

夏、秋、冬、ときたら「春」もあると思ったと思いますが、

 

そう簡単にはいきません。

 

いろいろ思うことがありまして、

 

やりたい気分ではないという以外にありません。

 

万一、再開するとしても、タイトルは、

 

「季節のお菓子と珈琲の会」に戻します。

 

「お話」という意味がわからない方がいるようですし、

 

前回、「ミルクティー」もおつくりできませんでしたしね。

 

そして、この会だけ参加していただいても意味がないと思っていますので、

 

日頃、カフェ営業にお越しいただいている方のみとさせていただきます。

 

開催日も、もっと減らします。

 

私は、女心並みに変わりやすい気分であるため、お許しください。

 

冬のあの発酵菓子も、今年はモチベーションがありません。

 

きっと、5個か6個で足りると思います。

 

そう信じています。

 

 

 

 

「パンの神が降りる時」

 

ご参加いただきました皆様、ありがとうございました。

 

過去一番、いろいろな面でよかったと思っています。

 

が、量が多かったという意見が多いようです。

 

私、食べていないのでわかりません。笑

 

全員、食欲も体調も気分も違うのに、

 

全員が満足な量などあり得ませんので、ご理解ください。

 

少ないとだけは言われたくないのです。

 

今、私の中では、もうやらないくていいのかなと思っています。

 

人数は集まりましたが、

 

今回が最終回であったかもしれません。

 

 

 

 

 

少し寝ます。

 

 

 

 

今日のひとこと - -
今日のひとこと

 

「ここで」を否定するのであれば、

 

それはもう、

 

そのお店のアイデンティティを否定したのと同じ。

 

そこに立つ店主のアイデンティティも。

 

すべてのコトやモノの裏には人がいる。

 

表面化したものだけしか観えないのでは、

 

自分も、そう扱われるということ。

 

自己と他者は一体である。

 

 

 

今日のひとこと - -
今日のひとこと

 

最近、

 

「食べることそのものにしか興味のない方」は、

 

非歓迎だと言っています。

 

意味がわからない方は、ご自身の感受性について、

 

もう一度、考え直したほうがよいと思います。

 

簡単に言えば、

 

デパ地下に行けば、私のつくった食べ物が買えるのなら、私はそれでいいわ、

 

と思う方は不向きだと言っているのです。

 

カフェは「時を売る仕事」。

 

つまり、場を提供する役割です。

 

カフェは料理ジャンルではないですよね?

 

ほぼ、コーヒーしかないようなカフェもありますし、

 

和食の定食を出すカフェもある。

 

洒落た空間のレストランではないのです。

 

内容より、過ごすことに重きをおいているお店のことです。

 

そうできていないお店もあるとは思いますが、

 

それでは売上がなくて続けていけないから

 

食べ物のメニューに力を入れるお店が増えただけです。

 

ここで食べる、ここで飲むがしたい方は歓迎です。

 

「ここで」が重要です。

 

ここではなくてもいいのであれば食べたいだけ。

 

だから、私は、テイクアウトだけをしようとする人を歓迎しない。

 

当然です。

 

カフェですから。

 

また、写真撮影可ですが、

 

撮影は速やかに、被写体も撮影者もそのままで、というルールにしています。

 

席を立って撮影した場合、お帰りいただきます。

 

当店、他店様関係なく、

 

ルールがないならやってもいいだろうと思う人は異常者です。

 

自由にしたければご自宅でどうぞ。

 

写真撮影不可とした場合、

 

「それなら、もう行かない」と思う方は、

 

食べる飲むよりも撮影が大事なわけですから、当店のコンセプトに合いません。

 

ご自宅でご自身でつくって撮影してください。

 

カメラ教室やってるくらいですから、

 

写真を撮る人が嫌いなわけがありません。マナーの問題です。

 

カフェご利用は、非歓迎です。

 

純粋に

 

「sens et sens」で食べたい、飲みたい方、

 

その時間を愉しみたい方、お待ちしております。

 

 

 

今日のひとこと - -
今日のひとこと

 

先日、テイクアウト用のパン

 

「クランベリー&サワーチェリー&ヘーゼルナッツ」が

 

売れ残ったので、閉店後に食べてみた。

 

焼成から12時間も経っている。

 

過去最高に良くなっていた。

 

実は、少し変えたのだ。

 

ライ麦全粒粉も小麦全粒粉も配合しているのに、スルスルと溶けて言った。

 

一度に全部、食べた。

 

 

 

私のパンは進化している。

 

まだ、進化している。

 

度々、言っているように、

 

昨日と同じものをつくればいいと思ったことがない。

 

実際には、そうできないことの方が多いが、

 

毎回、前回よりも、より精密に、深く、

 

イメージに近づけるように感覚を研ぎ澄ます。

 

この一年で、より良くなった感覚はある。

 

より、優しくなった。

 

サンドに使うパンは、優しくないといけない。

 

どんな具材であっても包み込むような優しさ。

 

パン屋時代のような強いインパクトはいらない。

 

だから、素材や製法が同じパンでも仕上がりを変える。

 

パンだけで勝負するときは強い気を持って臨む。

 

カフェでは優しさ、温かさ。

 

強いインパクトを感じるほどの食べ手すら包み込む優しさを。

 

 

 

つくり手にありがちな、

 

自分のつくったものだからおいしく感じてしまうなんてことはない。

 

私は、いつでも、自分から離脱できる。

 

自分を客観的に見ることができる。

 

いつも、自分の動きを自分が見ている感覚がある。

 

むしろ、自分に一番、厳しいのは自分だ。

 

私は完璧だ、などとは言わない。

 

昔から言うように、「欠点だらけの完璧主義者」

 

自分のパンづくりにおける、どんな些細な感覚的ミスにも気づいている。

 

気づいた上で、その結果の責任を取る。

 

それが主というものだ。

 

料理のようにつくり直すことはできない。

 

一発勝負。

 

途中で味見もできない。

 

視覚的に内部を確認できないものを想像するということが、

 

パンづくりの最も必要な能力かもしれない。

 

ほとんどの人は、データをとったり、製法を安定化させることを目指し、

 

経験でやろうとするが、毎日、変化するのに経験では追いつかない。

 

結局、追いつかないから、つくり方を安定化させる、着地点を下げるしかなくなる。

 

つまり、100点を目指さないという選択をする。

 

私は、日々、変わるパン生地から感じることに徹する。

 

昔は何も感じられなかったが、毎日、念じた。

 

「パンを感じる。」と。

 

ある時からわかるようになった。

 

聴こえるようになった。

 

パンの声が。

 

 

 

 

「ペッパーハムとグリュイエールチーズのサンド」

 

お召し上がりいただいた方、

 

ペッパーハムとセミドライトマト、グリュイエールチーズ、

 

カルピスバター、粒マスタードを足しただけの味でしたか?

 

そんなの誰でも挟めばつくれますから、

 

それらが、ひとつにまとまった、1つの味になるようにしてあります。

 

わかってもらえていたら嬉しいです。

 

ペッパーハムがあまり好きではないということで選ばなかったのであれば、

 

まだまだ、私は信用されていないのだなと思う。

 

足しただけの味のものをつくったことがないつもりです。

 

カルピスバターというと、生ハムサンドと同じようにしていると

 

思われるかもしれませんが、違います。

 

サンドしているのはサンドしていますが、

 

ペッパーハムのお肉の脂の甘みが十分にあるので、バターは少なめ、

 

こちらは少し馴染んだ方が合うので、

 

生ハムの時は最後に冷えたバターをサンドしますが、

 

ペッパーハムの時は、先にサンドして少し温度を戻します。

 

それだけで役割が変わり、食べた時の感じ方も変わる。

 

トマトも、このサンドには生のトマトではダメ。

 

口の中で水分が出て味が薄まり、台無しになる。

 

高いところでバランスを取る。

 

そうしてこそ私のカンパーニュが活きる。

 

ちなみに、私はこのサンドの試作は一回だけです。

 

きちんと良さをわかった上で、最後は、その時の好みで選べばいいと思う。

 

最初から単語の印象なんかで決めてはいけない。

 

その印象はあなたの過去です。

 

私は未来をつくる人。

 

 

 

 

今日のひとこと - -
パン業界のこと

 

昨夜のようなことを言うと、

 

私が、自信があるんだな、とか、偉そうな態度だ、

 

とか思われがちなのですが、

 

そういう、自分が上に立っているという意識などなく、

 

他者との比較になんて、もう、興味がないと言っている人です。

 

昔は、他のパンをつくる人より上にいきたいと思っていましたよ。

 

向上心があれば当然でしょう。

 

でも、もう、それは意味がないというか、

 

それほど、役に立たないことがわかったからやめたのです。

 

今は、ただ、どこでもおいしいパンが手に入れられるように

 

なったほうがいいと思うし、そうならないといけないし、できると思っている。

 

それに対して、私ができることは何だろうか、とはいつも考えるのです。

 

残念ながら、今の職人たちの意識はぬるい。

 

売れることばかり考えている。

 

平気で売れ残ったパンを通販するし。

 

芯がない。

 

もっと、若い人たちが成長できる環境をつくらないといけない。

 

そういう気持ち。

 

 

 

 

おいしい、よいパン屋さんがあるなら教えてください。

 

いつか、行ってみますよ。

 

 

 

今日のひとこと - -
「パンの神が降りる時」受付

 

お申し込みいただきました皆様、ありがとうございます。

 

定員は超えているようです。

 

超えなければ中止でしたので、次回も当然ありません。

 

ということは、前回が最終回だった、

 

という事後報告最終回になるところでした。

 

先着と抽選、内容を拝見して確定しましたら返信させていただきます。

 

コメントの長さは関係ありませんが、

 

コメントがほとんどないという方はどうかなと思います。

 

このブログを読んでくださっていてコメントすることがないはずがありません。

 

コメントを指定しているからには意味があるということです。

 

ご理解くださいませ。

 

明日は、一応、休日です。

 

5日の仕込み日、6日のカフェは返信は難しいと思います。

 

明日、メールも拝見しますが、数日かかるかもしれません。

 

 

ちなみに、食べる会と言っている通り、ただの食べる会です。

 

メールはワークショップのメールを使用していますが、何のワークでもありません。

 

ささやかなワークがあるとすれば、いかに、

 

「考える」ではなく、「感じる」ができるかどうか、です。

 

こういうときのパンづくりはハードコア・パン屋モード。

 

つまり、戦闘モード。

 

私のパンの世界を通らずに、パンの何を語るか。

 

避けられない、

 

逃げられない。

 

好みは別として、良い悪いもいらない、

 

人気店も有名店もどうでもいい、

 

ただただ、浸ってくださいませ。

 

 

 

 

ところで、私は、現在、

 

雑誌のパン特集の取材をほとんどお断りしているのですが、

 

そういうもので取り上げられている人気店ということになっているお店、

 

本当においしいのですか?

 

私は、好みは別として、質は見ただけでわかるのですが、

 

「やりそうだな。」と思う人、見かけないです。

 

(そもそも、雑誌、見てないんですけれど。笑

 

でも、同業からも、ほとんど噂にも聞かない。

 

(同業の知り合いすらろくにいないんですが))

 

まず、最低でも店主がそこにいて焼いているお店でないと何も響かない。

 

近年、デザイナーばかりで、アーティストが極めて少ない。

 

ノウハウばかりが歩いて、感性が育っていない。磨けていない。

 

つまり、考えるのは上手になったけれど、感じることが下手ということ。

 

言いたい放題ですが、本音だから仕方ない。

 

とても寂しいです。

 

この会を再びやろうと思ったのも最近です。

 

同業と上記のような話になり、無理矢理、盛り上げようとしているだけで、

 

パン業界、あまり、成長していないなと思ったので、

 

一発、ぶちかましておこうと思いました。

 

心、澄ましてお召し上がりいただければ、

 

すました心ではいられないくらいに騒がしく語りかけてくるはず。

 

 

 

 

 

 

 

よお、

 

そこのパンつくってる人たち、

 

命を背負う覚悟はあるか。

 

 

 

 

 

今日のひとこと - -
今日のひとこと

 

パンのご予約について、

 

文言を削除してしまいましたが、

 

いつも、記載している通り、パンのご予約は1個までです。

 

店頭にあれば追加してください。

 

型が必要なパンで、大量に型を持っていませんのでつくれません。

 

型を増やすつもりもありません。

 

 

 

パンそのものとカフェは無関係ではありますが、

 

ここへ来たことがない方にお召し上がりいただきたいとは思わない主義です。

 

当店をただの「飲食店化」させようとする方はわからないと思いますが、

 

ここは、ここに「居る」をしたことがある人にしかわからないものがあります。

 

そう言われてもわからない方は、ここに来たことがあっても、

 

まだ、ここに「居る」をしたことがない方です。

 

ただ、飲食物が出てくるまで待たされていたのでしょう。

 

この場所の良さをご理解いただける方であればわかると思います。

 

人に説明しても説明しきれないものがあるはずです。

 

なぜなら、感じるものは説明できないからです。

 

それに、説明不要です。

 

大好きな風景を写真に撮って見せても、

 

そこに居るときの感覚が伝わらないのと同じです。

 

感動した映画がどれほど感動的かを説明しても、

 

話を聞いた人が感動することはないのと同じです。

 

 

物質そのものでお伝えできることは限られます。

 

ある理由で、そのうち、

 

物質のみでお伝えする日をつくろうと思っています。

 

居ることに興味のない方はそちらへどうぞ。

 

 

ちなみに、

 

私は、物質そのものを「おいしかった」と言われましても、

 

特に何も感じないのです。今は、もう。

 

昔は、それ自体で自分を満たそうとしたこともありましたが、

 

それに、いかに意味がないかを知ってからは、他者評価に価値を感じません。

 

味の好みはあれど、質が高いのは当然です。

 

味は、ひとつの表現であり、固定されたものではありません。

 

その時のものが、お口に合わなかったら申し訳なく思いますが、

 

そうでない限り、味は愉しむものであって、

(感じるもの)

 

評価する対象ではないと思います。

(考えるものではない。ミシュランじゃあるまいし。

 

あのような評価は、舌先で調査するように食べて精査しているだけ。

 

感じていない。彼らに私の表現がわかるのであろうか。)

 

私は、ただ、あなたが、あなた自身で、あなたを満たせたことに、

 

私の何かが関われたのであれば、冥利に尽きる、というだけです。

 

私が嬉しいのは、あなたが満たされたということそのものです。

 

満たされたという意味で「おいしかった」というお言葉をいただくことは嬉しいです。

 

つまり、「おいしかった」という言葉である必要はないのです。

 

すなわち、言葉である必要もない。

 

「気」の微笑みで十分ですよ。

 

あなたの体から滲み出ていますから。

 

 

 

 

今日のひとこと - -
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